1951-03-31 第10回国会 衆議院 本会議 第29号
終戰後第六年を迎えました現在、夫や父や子を異郷に抑留され、いつ帰るかもわからぬ状況のもとに置かれておる留守家族の人々の心情を察しまするとき、はげしい衝撃と義憤を禁じ得ないものがあります。
終戰後第六年を迎えました現在、夫や父や子を異郷に抑留され、いつ帰るかもわからぬ状況のもとに置かれておる留守家族の人々の心情を察しまするとき、はげしい衝撃と義憤を禁じ得ないものがあります。
纎維につきましては、終戰後非常に一時生産が落ちておつたのでございますが、一昨年の後半期以降逐次急激に生産が増加いたして参りまして、特に纖維は輸入原料に待つものが非常に多いのでございますが、その後原料の輸入も相当順調になつて参りまして、本年度におきましては、終戰後第一の生産を上げるものと予想されております。
これは昭和の初から戰争開始頃までに日本の一位を占めておりましたのですが、昭和十六年から特別結核対策を実施いたしまして終戰後第一回の統計を得られました昭和二十二年におきましては全国の十位に下つております。特に年令的に重点をおきました青地少年につきまして半減いたしておるというような顯著な成績も見られております。これと同様な成績は他に栃木県、北海道の札幌、福井県の一部というようなところで若干ございます。
アメリカの第二次大戰後の資本移動を見れば、やはりマーシヤル計画であるとか、そういつたような政府の財政資金がむしろ出て行つておるのであつて、民間に形成された資本が投資されているという例は割合に少いと思うのですが、そういう点についてアメリカ資本が一体終戰後、第二次世界大戰後どれ程投資されて、そうしてそれが投資された産業部門というものは、どういう部門であるかということについて何か調べがあればお聽きしたいと
家え帰つて見ますというと、今や村の最貧困分子の一人になりまして家内は終戰後第一、第二年は漸く食べて、三年、四年後、本年は村の多收穫の一員になりまして、非常に生活も楽になつたと、こう申しておるところへ私は帰りました。全く農地改革は実行せられて、どの人も、どの人も村が変つたでしようということを、会う人ごとに言つて呉れておる状況であります。私も非常に嬉しい気持で農村の姿を見ました。
すなわち吉田総理大臣は、終戰後第一次内閣をおつくりになられましたとき、あのときこそ日本は戰時経済から平時経済に立ちもどるべく、健全財政を実行すべきであつたのであります。そのときに大臣は石橋湛山を起用せられまして、いわゆる有名な、石橋インフレ財政を行わせた、当時国民の輿論はこの石橋のインフレ財政に非常に反対した。われわれも国会において反対した。
これは終戰後、第一に唱えられて、戰爭前の鉄道の使用炭と現在の使用炭を見ても、走行マイル数を見てもわかるわけでございます。荷物の量から見てもわかるわけでございますが、これは明らかに從來より炭が惡いということであると思います。
もう一つ申し上げれば、選挙法はよくいろいろ党利のためにかえられますが、しかし短き経驗からしましても、終戰後第一に改正になつた衆議院議員選挙法のときには、社会党が非常に反対いたしました。しかし民自党はこれを押し切つてやりました。その結果は民自党が負けた、こういうことになる。
私どもが本決議案を提出いたしました最大の動機は、現在わが國が終戰後第四年目を迎えまして、民族の繁栄と両家の興隆とを求めて参りますために何よりも必要な國家の治安を回復し、その秩序を確立いたしまするとともに、國家経済の復興と再建に努めたいということに出発することは、言うまでもないのであります。
終戰後第四年目に入つたのでございます。全國に今おりますところの戰爭未亡人の数は約六十万を数えるのであります。しかも、これが連れますところの小さな戰爭遺兒は、一人平均二人ないし三人と見まして百五十万前後に上るのでございます。今日國家的にいかなる救済の手が差延べられておるかということは、議員諸公も御存じの通りでございます。
○説明員(溝淵増巳君) 今回の選挙は我々としても終戰後第三回目の選挙でありまして、相当経驗を持つておる次第でありますが、御承知のように新らしく選挙特例法が出まして、これを先ず解しまして全体に徹底することが相当必要だつたというわけで、たびたび会議を催し、或いは講習会等を開きまして徹底を期したのであります。
われわれとして最も農林金融の山と考えております昭和二十四年は、終戰後第四年目になるわけでありますが、それに対しまして、われわれとしてどういつた心構えなり、対策をもつて臨むかということが、現在における農林金融の基本的な考え方でございます。
これが終戰後第一年の情勢であります。終戰第二年一九四六年八月から一九四七年七月に亘る一年間でございますが、この時期は國共の妥協は不可能となつたのでありますが、併しこの時期には國民党の國府軍の軍力は圧倒的に優勢でありまして、当時國府軍の参謀総長陳誠將軍は中共軍を三ヶ月で撃滅すると豪語したわけあります。
○北村證人 これは終戰後第二復員局管業部長という名で、海軍の施設全体についてだと思いますが、管理上の責任者にきめられたようであります。私はあまりよく知らぬのでありますが、三月の末だつたと思います。
外資導入と日本経済の見透し等について、一言更に申述べることをお許しを願いたいのでありますが、財政金融当面の情勢は、以上申上げました通りでございますが、終戰後第四年目の今年に入つてからの諸般の情勢は、全般的に見まして次第に好轉しつつあるものと申すことができると思うのであります。
財政金融当面の情勢は以上の通りでありますが、終戰後第四年目の今年に入つてからの諸般の情勢は、全般的に見て次第に好轉しつつあるものと言えましよう。すなわち、納税成績の目ざましい向上を主軸として、通貨はほとんど安定的状態にあり、また物資面においても、供米は昨年に比しはるかに早く完遂され、各方面にれける國民各位のひたむきな経済復興への努力は、今やようやく歩一歩とその実を結び始めたのであります。
農林省農地部の調査の我々に提出されました參考資料によりますると、終戰後一ヶ年間におきます地主の土地取上げ事件は約二十五萬件を超えるものと推定されると示しておりまするし、終戰後第二年目におきましても、第一年目に劣らない數字を示しておるということが書かれて、昭和二十一年八月十五日から二十二年の五月三十一日までに、大凡そ二十萬件を超え、その中地主の要求の一部又は全部が通つたものは約七萬件であるものと見積られると